Kiriyama

(有)桐山製作所について


桐山製作所

桐山製作所の創業は現、取締役開発部長 桐山弥太郎が、陸軍登戸研究所(現:明治大学生田キャンパス)に入所しました昭和17年に遡ります。

桐山は研究所の第4科に配属され、所内ではこの間に多くの職務を経験しました。中でも化学研究がさかんに行われており、ガラス器具、装置が多く使われておりました。この為、所内では理化学ガラス製作者が数名おり、この技術を習得するために桐山は民間の理化学ガラス製造会社、富士商会(現:藤原製作所)に出向し名工、藤原四郎氏に師事。ガラス製作の技術を学びました。

終戦を迎え、桐山は職を失いましたが一度習得したこの技術を活かす場として東京大学薬学部にガラス職人として入りました。焦土と化した東京でしたが東大は比較的早くガスが出るようになり、ガラス装置の製作や修理など学内の仕事を行っておりました。

研究室の傍らで桐山はガラス細工の作る技術だけではなく、装置が実際に使われる場に身を置く事で製作した製品の可否を実感できました.

昭和20年代、東大病院の薬局は薬学部に籍があり当時、点滴用のブドウ糖液と蒸留水とを一定の割合で混合する、分注器を使っていましたがこれが一定の量で止まらずに不自由していました。

桐山はこれを定量で止めるバルブを製作して使い易い分注器として重宝されました。

その後、独立起業しこの時の経験が現在の桐山製作所の基礎となっております。

詳しくはコチラ

高木春美子商店。桐山硝子について

桐山硝子は、第二次世界大戦の暗黒時代に創業した会社です。戦争という障害を乗り越えた男の歴史を物語る、豊かな歴史を持つ会社です。日本一の理化学ガラス製品の専門メーカーへと成長した経緯をご紹介します。高木春日子商店では、その始まりをご紹介しています。

始まり

1942年、桐山弥太郎という野心家の青年が陸軍藤堂研究所(現在の明治大学)に入所したのが始まりです。この研究所は、戦争中に蔓延した病気の治療薬や治療法を開発するために、日本政府から任命された場所でした。

研究所には4つの部署があり、桐山は第4の部署に配属されました。第四課では、化学実験に関するすべての業務を担当している。そのため、桐山は研究所内の様々な機器に精通していた。そのうちに、ガラス器を作るための技術に興味を持つようになった。

研究室で過ごす時間が長くなればなるほど、その魅力は増していった。彼はすぐにガラス器の専門家に弟子入りすることを決めました。彼は師匠を求めて東京中を歩き回った。そして、実験室用ガラス製品の名工である藤原四郎氏に出会いました。彼の指導の下、桐山はガラス作りの技術と技術を身につけることができました。

十分に学んだ桐山は、第二次世界大戦が終わるとすぐに東京に戻ってきました。東京大学薬学部に入学。そこではガラス器の職人として働いていました。研究室時代、桐山は二つのことを実感した。ガラス器作りが大きく上達したことと、戦争の被害を受けてガラス器の需要が高まったこと。会社の第一次草案を策定したが、まだ着手する勇気はなかった。

年、薬局で問題が発生。ブドウ糖液と蒸留水を混ぜるために使っている調剤装置が必要量で止まらなかったのだ。これが原因で点滴が失敗してしまったのです。その間、桐山はその場に居合わせ、装置の点検をすることにした。彼はそれをいじって、輸液を定量的に止めるバルブを作って使いやすい仕切りにしたのだ。

この装置が成功したことで、桐山は自信を持って事業計画をスタートさせることができた。研究室での経験と藤原との経験を生かして、1948年(昭和23年)に桐山硝子工業株式会社を設立したのである。

製品の歴史

2013桐山ガス粒子
2011リリースされた桐山パック
2000解放されたモノラルヒート
1984カスタムメイドのラボプラント 
1970ユニゾンコラム 
1964桐山ロートオリジナルファンネル